「産まずに遺す」という選択だってある

 前回投稿2記事目にして、非アラサー女子に向けた指南書的な記事を書きました。

http://vinegamori.hatenablog.com/entry/2014/11/15/120008

 
 2000字に及ぶ記事を書き終えて投稿し、「ふぅ〜書いたぜ!」と満足感に浸りきっていたところ、はっと気づきました。
アラサー万歳!の雰囲気ゼロでしょっ!ってことに。(おっそーーー!)
 なぜブログを立ち上げて早々に非アラサー女子に向けて白旗と見紛うようなエールを送ったかというと、そこにはワタクシのはやる思いが潜んでいるのでした。
 
 何を隠そう、私は結婚はしたいけど、子どもは産みたくない派なのです。これはここ数年来変わらぬ方針で、恐らく今後も持ち続けていくであろう主義です。ナイーブな年頃であるアラサー女子との間でこういった話をすると、残念そうな顔をされるか考えを改めるようお説教されることがほとんどです。みなさんは子どもを産むことについてどのような考えをお持ちですか?
 
 引用した記事では様々な理由がありましたが、一番近い心情としては「子供が産まれると余計な人間関係が発生してしまう」でした。まずは日々をつつがなく過ごすことにエネルギーの大半を注いでいるので、先々のリスクを考えることが億劫になってしまうのです。また、普段から子どもと接する仕事をしているため、擬似的に親になった体験をすることで満たされてしまっている。どちらかというと後者の理由で子どもを持つという選択肢が、人生のプランに織り込まれなかっと感じております。
 
 ただ、産む・産まないの選択をすることより大事なことがあると思っています。それは何かというと、自分が生きた証を残すことです。
 ミームとジーン、こんな言葉を岡田斗司夫氏の動画の中で学びました。
ヒトというのは、ヒト意識とヒトが合成したジーンとミームで出来ています。

ジーンて言うのは遺伝子です。
ご存知のとおり僕らが生物として生きながらえて、そして子孫を残したいと思う本能、
遺伝子を残したいというやつですね。

ミームって言うのは比較的新しい考え方で知伝子とか模倣子っていうふうに言われます。
僕らがどういうふうなものを考えて、伝えるかっていう本能をミームって言うわけです。
 私たちの本能に組み込まれた、次世代に思想的遺伝子を残したいと願う欲求は叶えるべきだと思います。
 女性の社会進出が進む昨今、かつてのような結婚→妊娠→出産というプロセスを順当に踏むのは至難の技。益々産まないという選択肢を選ぶ人は増えるかもしれません。そうであったとしても、何らかの機会に・ある一定期間・自分よりも若い世代と関わることは重要です。それは大げさだけど、自分が生まれてきた意味を知るためにも…。
 
 
 そんなわけで、今後も非アラサー世代に向けたテーマも積極的に掲載していきます!(もちろんメインはアラサー万歳!な記事)
 
以上、ビネガ森がお届けしました(๑'ᴗ'๑)