「努力以前の世界」をのぞいたことで、そこはかとなく優しくなれた20歳。大切な転機。

今週のお題「20歳」

アラサーな私にとって、20歳だったあの頃は「前世か!」と突っ込みたくなるほど過去のように感じられるが、確実に現在に至る布石となった貴重な時間だった。

 

大学も2年に進級すると、バイトや部活、その他諸々のこなし方を身に着けてき少々余裕をもてあます時期だったりする。この時期をサークル活動で華やかに過ごす人もいれば、若さという資産を最大限に生かして恋活(って最近聞きませんね)にいそしむ人もいる。

 

そんなとき私は、興味・関心が「外の世界」に向きつつあった。

 

「外の世界」は、自分という人間の努力が及ぶ範囲の外を意味していた。

 

 

自分の肉体と精神はどれぐらいのストレスに耐えうるだろうか?

 

 

技術の恩恵を受けない世界に太刀打ちできるものだろうか?

 

 

哲学的とは程遠い、物心がついた頃子どものような好奇心に突き動かされて日夜思索に耽った。

 

 

特に私が影響を受けた体験は、パプアニューギニアで3週間滞在したことと、タイ北部のカレン族の村で村人と一緒に生活したことだった。

 

どちらの世界も、経済的・技術的発展という観点で日本と比べたら「持たざる国(地域)」だと思う。

だから学生ボランティアにありがちな「何とかしたい」といった気持ちも少なからずありながら、現地入りした。それはすごく恥ずかしいことだったし、思い上がりだったと思う。

 

そこには小腹を満たすために立ち寄るコンビニはないけれど、あちらこちらに瑞々しいフルーツがあってお腹がはちきれるほど食べさせてくれた。

 

そこには安全を確保する街灯ははないけれど、「星がきれいだね」と言いながら毎晩一緒に歩いてくれる家族がいた。

 

そこには電子レンジもガスコンロもないけれど、昔懐かしい(ってか初体験?)囲炉裏があった。隣の家の人までやってきて、「嫁に来ないか」とお節介まで焼きにくるカンジがとってもよかった。(無論お断りした)

 

 

もちろん、現地の方々と話していく中で「日本で暮らせることがとてもうらやましい。」と絶賛してくれることも多々あった。

そりゃそうだ。生まれたときから全てのインフラが整っている。最近は幼児ですらiPadを使えるとかで、それほど技術は簡易化されて、あって当たり前のものとなっている。

 

私が訪れた国や地域が、現在の日本の水準にまで至るには相当な時間と費用が掛かると思う。

 

これは「努力が足りない!」の一言で一蹴できるレベルのことではないし、努力をしてまで先進国レベルに引き上げる必要があるのかすら疑問に思う。

 

「努力!努力!成果!」

 

ってなカンジで長らく努力、努力、成果教にポイズンされていたが、「外の世界」をのぞいたことで肩の荷は降りた。

多感で勝気だったあの頃の私は、電気もガスも電子機器も十分にないのに、力強く生きている人たちの姿に救われた。

 

もちろん今だって右も左も気になるけど、昔よりは少しわかった。

 

100円の布袋があれば持ち物は運べる。

LINEがなくたって腹は割れる。(腹筋じゃないよw)

車がないのなら、景色を見ながら長めのウォーキングを楽しめる。ケンカした後の夫と仲直りまでできちゃうぜ!!

 

当たり前のことなんだけれどもね。

 

 

8年も経つと、記録メディア以上に記憶が劣化して変形していく。

だからまだ少し質感を留めているこの瞬間に、とりとめもない思いを書き記してみた。

 

土曜日万歳!